東大生協書籍部
2008.10.10 Fri
根津に存在しないもの。大手コンビニ。本当に1店舗も無い。大手じゃないローカルな店が1つあるのみ。でも愛すべき中堅スーパー赤札堂が夜23時まで頑張っているからよしとしよう。
困るのは本屋が無いこと。必需品というわけでもないが、会社帰りに本屋に立ち寄るのはストレス解消に効果的だし、だいいちひまつぶしになる。根津にはコンビニもないから近所で週刊誌も読めない。
地元に本屋がなくても少し足を伸ばせば大手書店はある。上野界隈には明正堂があるし、千代田線大手町にはオアゾがある。新御茶ノ水で降りれば御茶ノ水丸善があるし神保町も近い。本屋が地元になくても何とかなる。だから無くなってしまったのかもしれない。
しかし根津には東大がある。裏だけど。東大には本屋がある。東大生ご用達、生協の書籍部だ。根津の町民なら本はここで買えばよい。

真砂町市営住宅その2
2008.10.03 Fri
昭和5年、真砂の地に東京市営の集合住宅・清和寮が建てられる。この東京市の集合住宅の思想は以後、同潤会アパートに引き継がれる。
集合住宅が竣工する前に、戸建ての住宅が50戸ほど建設される。震災の前後、大正12年と14年だ。今から80余年前になる。
真砂町の戸建て市営住宅は、当時他の場所に作られた戸建て市営住宅とは違って、中産階級にターゲットをしぼって開発された。そもそも市営住宅は低所得者層向けに供給されるもので、中産階級向けの戸建て市営住宅はここ真砂町だけだった。東京市の斬新な試みだ。
東京市は初めての試みに意欲的なマーケティング活動を行ったのだろう。当時の中産階級の人々が憧れるデザインを積極的に取り入れる。

(1は現在の清和公園。2が清和寮。上の通りが高台上にあり、通りをはさんで一戸建てが並ぶ。下の通りは平地の続きで2連戸建てが並ぶ。)
真砂町市営住宅その1
2008.09.26 Fri
第29話で都営の文京真砂アパートについて書いた。大正から昭和にかけて、このアパートの裏の地に東京市が市営住宅を建設した。
現在の本郷4丁目、春日町交差点から本郷の高台に向かう途中に小さな台地状の丘がある。通称右京山。名前は江戸時代この地に中屋敷のあった高崎藩主大河内家松平右京亮に由来する。東京市はこの土地に市営住宅を計画する。

(昭和13年撮影の市営真砂住宅。中央上の鉄筋アパートが清和寮、その手前から右にかけてが真砂町住宅。ちなみに手前の白い家は吉池!の従業員寮だ。−都営真砂アパート1階に展示してある写真から−)
本郷の路地
2008.09.19 Fri
根津では行政の言うことを守り路地をきれいに整備しつつあるが、お隣の本郷には圧倒的な存在感で行政を黙らせてしまう路地がある。これだ。

根津の路地
2008.09.12 Fri
路地の話だ。路地ファンは意外に多い。心のどこかで郷愁を感じるのかもしれない。
根津の路地と言えばこんなイメージを思い描く方が多いのではなかろうか。

上は根津神社交差点の裏にある路地だ。のぼりのあるお宅は、下町の景観を描くペン画で有名な杉山画伯のご自宅。画伯はご在宅なら自宅玄関先で絵葉書を売ってくれる。
根津ではこのような細い路地はいずれは消え行くことになる。行政が推進する4m道路化が少しずつ進行している。
都営文京真砂アパート
2008.09.05 Fri
アトラスタワーの斜め向い約200mに都営文京真砂アパートがある。アトラスタワーより都心側に位地し白山通りと春日通りの春日町交差点脇に建つ。都営地下鉄三田線春日駅の真上だ。11階建てで1階には公設市場という名の商店街、2階から4階までが文京区の施設となっている。

建設は1967年昭和42年だから築41年。昭和42年と言えば東京オリンピックの3年後で、東京は本格的な高度成長を始めたばかりの発展途上にあった。
このころはサラリーマン向けの住宅が不足していた。自治体が住宅を提供する役目を負った。都心近郊には団地が建設され始めた。真砂近辺は戦前から公営住宅があり、都はこの地に既にあった公設市場の上に高層アパートを建てることを決める。
高度成長を迎え周囲が発展していくなか、真砂アパートは昭和42年のまま時間を止める。周囲の住環境が発展していくなか、住宅としての価値は相対的に低下していく。それでも鉄筋コンクリート製の建造物だから壊さない限り建ち続ける。老朽化が容赦なく進む。
一方、アトラスタワーの住居の分譲価格は広さ部屋数にもよるが数千万円以上が相場だ。人気物件なので空きはあまり出ない。出ると数千万円の価格がつく。
分譲価格数千万円の住居が入るアトラスタワーの斜め向いに建つ、築41年11階家賃数万円、老朽化が進む都営高層アパートをどう考えればいいのだろう。
再開発を選んだ街・小石川1丁目
2008.07.25 Fri
根津は千代田線で大手町まで駅3つという位地にある。同じ区内で同じような位地にあるのが春日だ。都営三田線で大手町まで駅3つ、住所で言うと小石川1丁目付近にあたる。この街が再開発され新しい街に変わりつつある。再開発の先鞭をつけたのが、2003年に完成した小石川アトラスタワーだ。

都内のあちこちで街の再開発が行なわれている。工場や法人施設の跡地を利用する例も多々あるが、住民が住んでいる家や土地を調整して根こそぎ造り変えてしまうやり方もある。アトラスタワーは後者の例だ。
他にも後者の例として、大規模な例が六本木ヒルズだろう。会社跡地以外にも元々民家の密集地があった場所だ。森ビルが行なう六本木再開発の一環として行なわれている。他に荒川区汐入地区の再開発がある。これは自治体が主導している。ともに再開発の前と後では風景に劇的な差がある。
中規模な例としては元麻布ヒルズや白金アエルシティがそうだろう。アトラスタワーはこれより規模は小さい。街並みの一角約100M四方がまるごと変わった。
工場や法人施設の跡地利用の場合は地権者の居住問題の調整は少ないだろうが、対象地上に家を持つ住民がいる場合、再開発の利害調整は困難を極めることは容易に想像がつく。
小石川1丁目が再開発に至るには、様々な要因があったのだろう。元の柳町商店街一帯は昔から木造民家密集地だった。調整に調整を重ねて実現したのだろう。
バブル期に小石川地区は地上げの嵐に翻弄された。その後の再開発である。そのプロセスや是非をここで述べるつもりはない。再開発の結果を見て感じることを書こうと思う。
不忍池に咲く蓮の花
2008.07.18 Fri
不忍池(しのばずのいけ)は上野恩賜公園の南にある。
池は3つに分かれている。一番大きな池はボート乗り場に、動物園側の小さな池はバードサンクチュアリに利用され、南側の野外音楽堂に面した池に蓮が生い茂る。
7月になるとその蓮にきれいな花が咲く。

東大本郷キャンパス
2008.07.04 Fri

東京大学は本郷という印象が強いが、根津、弥生そして湯島とも接している。
正門や赤門が本郷側に面しているので本郷キャンパスと呼ばれるが、裏門や病院は根津・湯島、農学部や工学部の一部は弥生と接している。根津にある花柳界に学生たちが入り浸り大問題になったことがある。明治のころの話だが。
山の手線内だと同等な規模をもつキャンパスは、早稲田、青山学院、学習院、上智くらいだろう。多くの規模の大きなキャンパスは郊外に移転てしまった。
このなかでは東大本郷キャンパスが一番雰囲気がいいと思う。
多慶屋物語その2
2008.06.27 Fri
前回も書いたが、これは推測記事でありフィクションなのでお取扱いにはご注意いただきたい。
多慶屋物語その2。
成功し続けるスキームを確立した。かに見えたが、時代は容赦なく変化していく。
バッタ屋から変貌をとげ、近代的なディスカウントショップに生まれ変わった多慶屋は隆盛を極める。御徒町駅から行列のような人の流れができ、下町観光ツアーの組み込まれるほど有名になる。
しかし世の中は少しずつだが確実に変化していた。敏感な多慶屋はそれに気がついてはいたが、大きくなった図体と完成したシステムは小回りが利かない。
いったん確立した薄利多売のビジネスから脱却ができない。脱却どころか薄利多売のスパイラルが加速していく。
多慶屋物語その1
2008.06.20 Fri
以前に吉池本館を紹介した。吉池本館が昔からある御徒町のランドマークだとすれば、現在の御徒町のシンボルは多慶屋だろう。最近は有名になり下町買物めぐりのバスツアーにも組み込まれている。御徒町といえば多慶屋、というイメージを描く方も多いと思う。
御徒町近くの昭和通りの一角は「多慶屋村」状態だ。多慶屋の看板がかかるビルが林立する。

以下は私が今まで多慶屋を見てきて感じたままに推測して書いたフィクションだ。お取扱いにはご注意いただきたい。
多慶屋物語。その1。
もともとはいわゆる現金問屋で、現金仕入・現金販売の安売り店だった。40年以上前のこと、当時はディスカウントショップなんておしゃれな言葉はない。実態は倒産した店から情容赦なく札びら切って商品を買い叩き、大量に仕入れそれを他店が真似できない安さで売る。通称バッタ屋がルーツだ。
今さら過去のことを言うと怒られるかもしれない。でも多慶屋はそこから驚くべき変貌をとげていく。
白山交差点
2008.06.13 Fri
ちょうどよいタイミングというか、これがあるから白山交差点を思いついたのだが、白山交差点のすぐ近くにある白山神社で紫陽花(あじさい)まつりが6月15日まで行なわれている。
文京区の白山神社は都営三田線の白山駅のエレベータを出るとそこが参道で、少し歩くとすぐに神社がある。意外と小さく狭い。こじんまりとまとまった小奇麗な神社といった印象だ。根津神社や湯島天神のように有名ではないが、地元の人たちに愛されていることはよくわかる。
文京区の白山神社根津のたいやき
2008.06.06 Fri
このシリーズではどのガイドブックにも掲載されているような有名な題材はなるべく取り上げないことにしている。初めて聞く話だって?実はそうだったのだ。
しかし先に取り上げたイナムラショウゾウのように、常に行列ができるお店にはそれだけの価値がある。今回の根津たいやきもそうだ。
食べたことのない方には是非味わってほしい。そう思って取り上げる。
根津界隈ではイナモリショウゾウに次ぐ第2位の行列の長さを誇る。ちなみに第3位は根の津(讃岐うどん)。今は観光シーズンのピークが過ぎて少しは行列は減ったが、土日はこの通り。
土日の行列はこんな感じ1尾140円。たいやきの数え方だが、お店では1つとか1個とか表記されている。私は鯛に失礼のないよう1尾2尾と数えるほうがいいと思うのだが、決まりはない。
千駄木三丁目
2008.05.30 Fri
以前に谷中二丁目の高台にある高級住宅の家並みについて述べた。その谷中の高台は西側に向けていったん低地になり、根津二丁目の街並みと不忍通りを経て再び高台となり千駄木三丁目・五丁目方面に続く。
文京区は山の手台地と元々海だった低地帯が入り組んでいる。そのため区内のあちらこちらにこのような台地と低地があって、その間に坂があるつくりになっている。
その千駄木三丁目の高台の一帯、須藤公園を登ったあたりから安田邸付近まで高級住宅が並ぶ。
千駄木三丁目付近の住宅街講談社発祥の地
2008.05.23 Fri
ずいぶん前の話だが、たけしが現宮崎県知事らをひき連れて殴りこみをかけた講談社は文京区の音羽にある。風格のある本社と最近建てた現代風な高層の新社屋が印象的だ。
音羽にある講談社その講談社、そもそもの発祥の地は文京区千駄木だ。ちゃんと発祥の地には記念碑が建てられている。現在はマンション風の立派な社宅が建つ。
マンション風の社宅記念碑はその玄関先に置かれている。
発祥の地に置かれた記念碑




更新分をお知らせします

