学習:本多勝一「日本語の作文技術」3
2008.05.26 Mon
5月学習テーマは文章の書き方とし、テキストはこれを採用する。
ブログを書いていて文章で迷うことがいくつかある。そのうちのひとつが語尾の終わり方をどうするかだ。非「ですます」調がいいのか「ですます」調がいいのか、これは大いに悩むところだ。
今回はまず非「ですます」調のなかで気になる点について考えみよう。そしてそれを本書がどのように述べているかを調べてみる。
今回も前回と同様ややこしい説明になるのでガマンして読んでいただきたい。
他人の書いた文書を読んでいて「〜である。」がとても気になる。尊大な印象を覚えるからだ。
例えば上記の文章の語尾を「〜である。」にしてみよう。
自己肯定感が強く尊大な印象を覚えないだろうか。
「〜である。」は日本語として正しい手法だ。名詞+である、と使う。けっして動詞・形容詞+である、とは使わない。
例)
正:いい文章である。→文章という名詞+である
書くのである。 →の・という動詞・形容詞の名詞化+である
書くべきである。→べき・という「べく」の連体形+である
誤:楽しいである。 →動詞形容詞+である
書くである。 〃
これに代わる表現は、動詞形容詞の終止形・体言止め・「〜だ。」・「〜なのだ。」だ。
例)
いい文章である。→いい文章。いい文章だ。いい文章なのだ。
書くのである。 →書く。書くのだ。
書くべきである。→書くべき。書くべきだ。書くべきなのだ。
本多は明言している。体言止めは下品なので避けたほうがよいと。「〜だ。」に関しては乱暴なので避けるべきと言う人・説がある、という言い方にとどめている。
本多の文章を読むと「〜である。」はとても少ない。「〜だ。」は少数だが使っている。「〜なのだ。」はしばし見かける。となるとこういうことが言える。
語尾が名詞で終わるときの文章の書き方は以下がよい。
・体言止め(名詞、連体形)<「〜である。」<「〜だ。」<「〜なのだ。」の頻度で使用する。かつ、それぞれ単体を連続して使わない。
これで「〜である。」を代用できる。そしてもう1つ大切なことがある。
本多の文章をよく読むと、文章の最後が名詞で終わる表現自体が少ないことがわかる。つまり、
・何々(名詞・連体形)が、どうした・どうだ
という表現が多い。逆に、
・どうした・どうだ、が、何々(名詞・連体形)
という表現は少ない。
具体例で示す。
前者の例。
この文章はいい。
→何々はどうだ・どうした、というふうに使う。
^^^^
後者の例。
これはいい文章だ。
→何々は何々だ、という使い方だ。
^^^^^^^^
前者を使うと名詞や体言が文章の終わりに来る状況を避けることができる。これだと「〜である。」を使わないで済む。
この視点で本多の文章をよく読んでみると語尾表現の使い方がよくわかる。語尾を名詞で終える表現がとても少なく、それ以外の終わり方表現が圧倒的に多いのだ。これは大いに学ぶべきことだと思う。
次回に続く。
![]() | 日本語の作文技術 (朝日文庫) 本多 勝一 朝日新聞社出版局 1982-01 by G-Tools |
ブログを書いていて文章で迷うことがいくつかある。そのうちのひとつが語尾の終わり方をどうするかだ。非「ですます」調がいいのか「ですます」調がいいのか、これは大いに悩むところだ。
今回はまず非「ですます」調のなかで気になる点について考えみよう。そしてそれを本書がどのように述べているかを調べてみる。
今回も前回と同様ややこしい説明になるのでガマンして読んでいただきたい。
他人の書いた文書を読んでいて「〜である。」がとても気になる。尊大な印象を覚えるからだ。
例えば上記の文章の語尾を「〜である。」にしてみよう。
ブログを書いていて文章で迷うことがいくつかある。そのうちのひとつが語尾の終わり方をどうするかである。非「ですます」調がいいのか「ですます」調がいいのか、これは大いに悩むところである。
自己肯定感が強く尊大な印象を覚えないだろうか。
「〜である。」は日本語として正しい手法だ。名詞+である、と使う。けっして動詞・形容詞+である、とは使わない。
例)
正:いい文章である。→文章という名詞+である
書くのである。 →の・という動詞・形容詞の名詞化+である
書くべきである。→べき・という「べく」の連体形+である
誤:楽しいである。 →動詞形容詞+である
書くである。 〃
これに代わる表現は、動詞形容詞の終止形・体言止め・「〜だ。」・「〜なのだ。」だ。
例)
いい文章である。→いい文章。いい文章だ。いい文章なのだ。
書くのである。 →書く。書くのだ。
書くべきである。→書くべき。書くべきだ。書くべきなのだ。
本多は明言している。体言止めは下品なので避けたほうがよいと。「〜だ。」に関しては乱暴なので避けるべきと言う人・説がある、という言い方にとどめている。
本多の文章を読むと「〜である。」はとても少ない。「〜だ。」は少数だが使っている。「〜なのだ。」はしばし見かける。となるとこういうことが言える。
語尾が名詞で終わるときの文章の書き方は以下がよい。
・体言止め(名詞、連体形)<「〜である。」<「〜だ。」<「〜なのだ。」の頻度で使用する。かつ、それぞれ単体を連続して使わない。
これで「〜である。」を代用できる。そしてもう1つ大切なことがある。
本多の文章をよく読むと、文章の最後が名詞で終わる表現自体が少ないことがわかる。つまり、
・何々(名詞・連体形)が、どうした・どうだ
という表現が多い。逆に、
・どうした・どうだ、が、何々(名詞・連体形)
という表現は少ない。
具体例で示す。
前者の例。
この文章はいい。
→何々はどうだ・どうした、というふうに使う。
^^^^
後者の例。
これはいい文章だ。
→何々は何々だ、という使い方だ。
^^^^^^^^
前者を使うと名詞や体言が文章の終わりに来る状況を避けることができる。これだと「〜である。」を使わないで済む。
この視点で本多の文章をよく読んでみると語尾表現の使い方がよくわかる。語尾を名詞で終える表現がとても少なく、それ以外の終わり方表現が圧倒的に多いのだ。これは大いに学ぶべきことだと思う。
次回に続く。
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