白山交差点
2008.06.13 Fri
根津界隈シリーズ、第23話。根津からは少し遠いが白山交差点について述べよう。
ちょうどよいタイミングというか、これがあるから白山交差点を思いついたのだが、白山交差点のすぐ近くにある白山神社で紫陽花(あじさい)まつりが6月15日まで行なわれている。
文京区の白山神社は都営三田線の白山駅のエレベータを出るとそこが参道で、少し歩くとすぐに神社がある。意外と小さく狭い。こじんまりとまとまった小奇麗な神社といった印象だ。根津神社や湯島天神のように有名ではないが、地元の人たちに愛されていることはよくわかる。
文京区の白山神社
白山交差点はここ。地図左上の−を押すと縮尺が大きくなるので位置づけがわかると思う。記事を読みながらお試しあれ。
現在の白山交差点。千石方面から見た交差点の景色。
白山交差点の印象は昔とあまり変わっていない。昔というのは路面電車の都電がまだ通っていた40年以上前の話だ。昭和30年代後半。日本が高度成長に向かって走り出すころだ。東京タワーが完成しオリンピックが開催され、東京の道路が一気に整備された時期だ。
当時は私は6−7歳。板橋に住んでいた。
そのころ板橋から都心方面へ行くには、国道17号を車で行くか(自宅が工場関係だったせいで当時から車があった)、路面電車で巣鴨方面に向かうかのどちらかだ。
車で都心方面に向かうとき、車中から見た風景はほどんど覚えていない。子供だから後部座席に座っていたのだろう。40年以上も前の話だ、普通は忘れる。
ところが白山交差点の風景だけはなぜかよく覚えている。
巣鴨方面から向かうと千石交差点(当時は籠町交差点)を過ぎて左に沿って国道17号に入る。当時はこの道路に路面電車が走っていた。片道1車線の道路だ。1車線道路に路面電車の上下線が走って車も通る。よく交通マヒが起らなかったものだ。
東洋大前を通り京北商業(当時)を過ぎると道路は少し登り勾配になり白山交差点に至る。
右は春日方面に下る道。路面電車も下っていく。左は日暮里方面へ向かう。まっすぐ行くと東大農学部前に出る。路面電車もまっすぐ向かう。つまり路面電車は白山交差点で分岐していたわけだ。
路面電車が通っているので空中にはたくさんのケーブルが張ってあった。だから交差点の上は電線で雑然としていた印象が強い。
なぜこの風景が心に残っているのか考えてみた。それは何回も同じ風景を見たからだろうと思う。交差点の構造は路面電車が撤去されたこと以外は何も変わっていない。つまり交差する道路の幅が40年以上前とまったく変わっていないのだ。
白山交差点を通る国道17号は昔からある幹線道路だ。モータリゼーションの始まる昭和30年代には、ほとんどの主要幹線道路で拡張工事が行なわれた。
ところが白山交差点を通る国道17号は、既に3車線の白山通りが籠町(千石)〜春日間でバイパス状に完成していたため(上の地図の白山通り)、拡張されることなく1車線道路のまま放置される結果となった。昔から1車線のまま昭和30年代から今に至るまで変わっていないのだ。
だから交差点の構造が昔と基本的には同じ、だから基本的な風景が変わらない。変わらない風景を何回も見てきたので記憶が定着する。これが40年も前の風景が脳裏に焼き付いている原因だと思う。
そんなことを考えながら先日久しぶりにゆっくりと旧白山通り・国道17号を歩いてみた。写真はそのときに撮ったものだ。
再び現在の白山交差点
40年以上前の風景が心の中でセピア色に映っている。
ちょうどよいタイミングというか、これがあるから白山交差点を思いついたのだが、白山交差点のすぐ近くにある白山神社で紫陽花(あじさい)まつりが6月15日まで行なわれている。
文京区の白山神社は都営三田線の白山駅のエレベータを出るとそこが参道で、少し歩くとすぐに神社がある。意外と小さく狭い。こじんまりとまとまった小奇麗な神社といった印象だ。根津神社や湯島天神のように有名ではないが、地元の人たちに愛されていることはよくわかる。
文京区の白山神社白山交差点はここ。地図左上の−を押すと縮尺が大きくなるので位置づけがわかると思う。記事を読みながらお試しあれ。
現在の白山交差点。千石方面から見た交差点の景色。白山交差点の印象は昔とあまり変わっていない。昔というのは路面電車の都電がまだ通っていた40年以上前の話だ。昭和30年代後半。日本が高度成長に向かって走り出すころだ。東京タワーが完成しオリンピックが開催され、東京の道路が一気に整備された時期だ。
当時は私は6−7歳。板橋に住んでいた。
そのころ板橋から都心方面へ行くには、国道17号を車で行くか(自宅が工場関係だったせいで当時から車があった)、路面電車で巣鴨方面に向かうかのどちらかだ。
車で都心方面に向かうとき、車中から見た風景はほどんど覚えていない。子供だから後部座席に座っていたのだろう。40年以上も前の話だ、普通は忘れる。
ところが白山交差点の風景だけはなぜかよく覚えている。
巣鴨方面から向かうと千石交差点(当時は籠町交差点)を過ぎて左に沿って国道17号に入る。当時はこの道路に路面電車が走っていた。片道1車線の道路だ。1車線道路に路面電車の上下線が走って車も通る。よく交通マヒが起らなかったものだ。
東洋大前を通り京北商業(当時)を過ぎると道路は少し登り勾配になり白山交差点に至る。
右は春日方面に下る道。路面電車も下っていく。左は日暮里方面へ向かう。まっすぐ行くと東大農学部前に出る。路面電車もまっすぐ向かう。つまり路面電車は白山交差点で分岐していたわけだ。
路面電車が通っているので空中にはたくさんのケーブルが張ってあった。だから交差点の上は電線で雑然としていた印象が強い。
なぜこの風景が心に残っているのか考えてみた。それは何回も同じ風景を見たからだろうと思う。交差点の構造は路面電車が撤去されたこと以外は何も変わっていない。つまり交差する道路の幅が40年以上前とまったく変わっていないのだ。
白山交差点を通る国道17号は昔からある幹線道路だ。モータリゼーションの始まる昭和30年代には、ほとんどの主要幹線道路で拡張工事が行なわれた。
ところが白山交差点を通る国道17号は、既に3車線の白山通りが籠町(千石)〜春日間でバイパス状に完成していたため(上の地図の白山通り)、拡張されることなく1車線道路のまま放置される結果となった。昔から1車線のまま昭和30年代から今に至るまで変わっていないのだ。
だから交差点の構造が昔と基本的には同じ、だから基本的な風景が変わらない。変わらない風景を何回も見てきたので記憶が定着する。これが40年も前の風景が脳裏に焼き付いている原因だと思う。
そんなことを考えながら先日久しぶりにゆっくりと旧白山通り・国道17号を歩いてみた。写真はそのときに撮ったものだ。
再び現在の白山交差点40年以上前の風景が心の中でセピア色に映っている。
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