学習:本多勝一「日本語の作文技術」5
2008.06.16 Mon
6月の学習テーマは5月に続き文章の書き方とし、テキストとしてこれをじっくりと読むことにする。
テキストはじっくり読むことにして、前回に続き文章の書き方を実践的に探ってみることにする。もちろん記事は内容が1番重要なのだが、ここでは文章という切り口で考えてみたい。
ブログを書いていて、自分の書いた記事が読み手にどのような印象を与えているかとても気になる。要するに、読み手に気に入られたい、ウケたい、という気持ちが強くはたらく。
だから文体もなるべく好かれるよう書く。「ですます」調で書くのはその現れだ。
でも「ですます」調は書き手が意図するほど読み手には好かれない。むしろ鬱陶しい印象すら与える。話し言葉で書く方が親しみ表現ができる気がするのだが、ブログだって文章という表現スタイルを使うのだから、非「ですます」調が基本なのだ。これは前回書いた。
文章表現のなかで文末表現がとても気になる。文末表現が読み手に与える影響は大きい。具体的には「〜である。」「〜だ。」「〜なのだ。」「(体言止め)」という、文末が名詞・体言で終わる表現をどう使うかで文章の印象が大きく変わる。
以前、「〜である。」の多用が読み手にとても良くない印象を与えることを書いた。その代替案も考えた。でも実際にはそれぞれをどのくらいの頻度で使うべきなのか、詳しくは考えていなかった。
なので理屈をこねているよりも、お手本文章はどうなっているのか、それに対して自分はどう書いているのか、実際に調べてみようと思いついた。で、調べて比較してみた。1つ1つ数えたのだ。日曜の午後に。
まずお手本となる模範文章から。手元にある村上春樹の最新エッセイ「走ることについて語るときに僕の語ること」の第1章を調査対象とした。
これをお手本にしたのは、村上春樹の書く文章のなかでは、小説と違ってエッセイだから文学的な演出を機能させることなく素直な文体表現ができていると思えるからだ。散文のお手本となるいい文章だと思う。とてもいい文体で好きだ。
結果はこうなった。これは注目に値する。
村上春樹著「走ることについて語るときに僕の語ること」第1章
・文字数(改行による空白文字を含む):15,320文字
・センテンス数(括弧内も含む) : 368センテンス
・1センテンスあたりの文字数 : 41.6文字
語尾調査
1.「〜である。」 : 8回( 2.2%)
2.「〜だ。」「〜のだ。」 :45回(12.2%)
3.「〜なのだ。」 : 8回( 2.2%)
4.体言止め : 7回( 1.9%)
やはり「〜である。」は2%台と少ない。45センテンスに1回しか使われていない。「〜だ。」「〜のだ。」は12%。8センテンスに1回程度使用されている。「〜なのだ。」は2%で少ない。体言止めは意外に思えるがほとんど使われていない。
次に自分はどう書いているか。最新記事である先週金曜日の「白山交差点」を調べた。
ブログ・根津界隈シリーズの最新「白山交差点」
・文字数(改行による空白文字を含む):1,764文字
・センテンス数 : 48センテンス
・1センテンスあたりの文字数 : 36.8文字
1.「〜である。」 : 0回( 0%)
2.「〜だ。」「〜のだ。」 :12回(25.0%)
3.「〜なのだ。」 : 0回( 0%)
4.体言止め : 5回(10.4%)
「〜である。」は努めて使わないようしているから0回だが、全く使わないというのも無理がある。2%、50回に1回程度は使ってもいいだろう。「〜だ。」「〜のだ。」は25%で、村上春樹の倍でこれは明らかに多用しすぎている。体言止めも5倍以上で使いすぎだ。
「〜である。」を使わないようにしている無理・歪みが「〜だ。」「〜のだ。」の乱用を招いている。体言止めも安直に使い過ぎている。
「〜だ。」「〜のだ。」が多いと、読み手に与える印象がキツイものになる。インパクトが強く読み手のこころに乱暴に響く。
体言止めは便利なのでつい使ってしまうが、読み手からすると書き手のリズムを強いられる感じがする。本多勝一は名文には体言止めは少ないと述べていて、その通り村上春樹もほどんど使っていない。
サラっとしているんだけどしっとりしているところもあって、かつ論理的でしかもユーモアがあって読みやすい、そういう文章を書きたい。村上春樹のエッセイのように。
これからはこの結果を意識して記事を書いていこうと思う。
実際に数えてみたので結果には説得力がある。文章表現を学ぶのにお手本文章をデジタルに分析することはとても参考になることがわかった。この分析方法は他にも応用できると思う。
では次回へ。
![]() | 実戦・日本語の作文技術 (朝日文庫) 本多 勝一 朝日新聞社 1994-09 by G-Tools |
テキストはじっくり読むことにして、前回に続き文章の書き方を実践的に探ってみることにする。もちろん記事は内容が1番重要なのだが、ここでは文章という切り口で考えてみたい。
ブログを書いていて、自分の書いた記事が読み手にどのような印象を与えているかとても気になる。要するに、読み手に気に入られたい、ウケたい、という気持ちが強くはたらく。
だから文体もなるべく好かれるよう書く。「ですます」調で書くのはその現れだ。
でも「ですます」調は書き手が意図するほど読み手には好かれない。むしろ鬱陶しい印象すら与える。話し言葉で書く方が親しみ表現ができる気がするのだが、ブログだって文章という表現スタイルを使うのだから、非「ですます」調が基本なのだ。これは前回書いた。
文章表現のなかで文末表現がとても気になる。文末表現が読み手に与える影響は大きい。具体的には「〜である。」「〜だ。」「〜なのだ。」「(体言止め)」という、文末が名詞・体言で終わる表現をどう使うかで文章の印象が大きく変わる。
以前、「〜である。」の多用が読み手にとても良くない印象を与えることを書いた。その代替案も考えた。でも実際にはそれぞれをどのくらいの頻度で使うべきなのか、詳しくは考えていなかった。
なので理屈をこねているよりも、お手本文章はどうなっているのか、それに対して自分はどう書いているのか、実際に調べてみようと思いついた。で、調べて比較してみた。1つ1つ数えたのだ。日曜の午後に。
まずお手本となる模範文章から。手元にある村上春樹の最新エッセイ「走ることについて語るときに僕の語ること」の第1章を調査対象とした。
これをお手本にしたのは、村上春樹の書く文章のなかでは、小説と違ってエッセイだから文学的な演出を機能させることなく素直な文体表現ができていると思えるからだ。散文のお手本となるいい文章だと思う。とてもいい文体で好きだ。
結果はこうなった。これは注目に値する。
村上春樹著「走ることについて語るときに僕の語ること」第1章
・文字数(改行による空白文字を含む):15,320文字
・センテンス数(括弧内も含む) : 368センテンス
・1センテンスあたりの文字数 : 41.6文字
語尾調査
1.「〜である。」 : 8回( 2.2%)
2.「〜だ。」「〜のだ。」 :45回(12.2%)
3.「〜なのだ。」 : 8回( 2.2%)
4.体言止め : 7回( 1.9%)
やはり「〜である。」は2%台と少ない。45センテンスに1回しか使われていない。「〜だ。」「〜のだ。」は12%。8センテンスに1回程度使用されている。「〜なのだ。」は2%で少ない。体言止めは意外に思えるがほとんど使われていない。
次に自分はどう書いているか。最新記事である先週金曜日の「白山交差点」を調べた。
ブログ・根津界隈シリーズの最新「白山交差点」
・文字数(改行による空白文字を含む):1,764文字
・センテンス数 : 48センテンス
・1センテンスあたりの文字数 : 36.8文字
1.「〜である。」 : 0回( 0%)
2.「〜だ。」「〜のだ。」 :12回(25.0%)
3.「〜なのだ。」 : 0回( 0%)
4.体言止め : 5回(10.4%)
「〜である。」は努めて使わないようしているから0回だが、全く使わないというのも無理がある。2%、50回に1回程度は使ってもいいだろう。「〜だ。」「〜のだ。」は25%で、村上春樹の倍でこれは明らかに多用しすぎている。体言止めも5倍以上で使いすぎだ。
「〜である。」を使わないようにしている無理・歪みが「〜だ。」「〜のだ。」の乱用を招いている。体言止めも安直に使い過ぎている。
「〜だ。」「〜のだ。」が多いと、読み手に与える印象がキツイものになる。インパクトが強く読み手のこころに乱暴に響く。
体言止めは便利なのでつい使ってしまうが、読み手からすると書き手のリズムを強いられる感じがする。本多勝一は名文には体言止めは少ないと述べていて、その通り村上春樹もほどんど使っていない。
サラっとしているんだけどしっとりしているところもあって、かつ論理的でしかもユーモアがあって読みやすい、そういう文章を書きたい。村上春樹のエッセイのように。
これからはこの結果を意識して記事を書いていこうと思う。
実際に数えてみたので結果には説得力がある。文章表現を学ぶのにお手本文章をデジタルに分析することはとても参考になることがわかった。この分析方法は他にも応用できると思う。
では次回へ。
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