多慶屋物語その1
2008.06.20 Fri
根津界隈シリーズ、第24話。御徒町のディスカウントショップ、多慶屋のストーリー。
以前に吉池本館を紹介した。吉池本館が昔からある御徒町のランドマークだとすれば、現在の御徒町のシンボルは多慶屋だろう。最近は有名になり下町買物めぐりのバスツアーにも組み込まれている。御徒町といえば多慶屋、というイメージを描く方も多いと思う。
御徒町近くの昭和通りの一角は「多慶屋村」状態だ。多慶屋の看板がかかるビルが林立する。

以下は私が今まで多慶屋を見てきて感じたままに推測して書いたフィクションだ。お取扱いにはご注意いただきたい。
多慶屋物語。その1。
もともとはいわゆる現金問屋で、現金仕入・現金販売の安売り店だった。40年以上前のこと、当時はディスカウントショップなんておしゃれな言葉はない。実態は倒産した店から情容赦なく札びら切って商品を買い叩き、大量に仕入れそれを他店が真似できない安さで売る。通称バッタ屋がルーツだ。
今さら過去のことを言うと怒られるかもしれない。でも多慶屋はそこから驚くべき変貌をとげていく。
かつてはこの手のバッタ屋はたくさんあった。バッタ屋が今流の言葉で言うM&Aで大きくなり、いわゆる安売り大手が出来た。今から30年くらい前のことだ。
東京近郊ではロジャースが先駆した。埼玉南部を中心に開業した。今では多店舗を展開している。ここも元々はバッタ屋だ。一時はとても流行った。競争相手がいなかった。なぜか。競争にならない。仕入ルートが普通じゃない。これが他社が真似できない参入障壁となり独占的な地位を築いていた。
多慶屋も同じ。どうしてこんなに安く売れるのか、素人の詮索が許される領域ではない。それでもとにかく安いから売れる。買う立場からすればどこから仕入れようが商品がまともで安いなら問題はない。
やがて世の中の流れが変わる。安ければいいってもんじゃない。今の言葉を使えばコンプライアンスである。
様々な安売店が商圏を失っていくなか、多慶屋は大胆な変身を迫られ実行する。
まず仕入ルートの正規化を急ぐ。倒産会社から安値で仕入れることをやめ、正規ルートからの仕入れと品揃えの多角化を行なう。不定期な仕入れから安定仕入れへ、不特定商品ではなく顧客ニーズを踏まえた品揃えへと、商売のやり方の基本を変える。
そうなると今までリスクとモラルを引き換えに得てきた大きな利潤を、違う手段で確保しなければならない。多慶屋は生き残り策を真剣に考えたはずだ。
仕入ルートを整備・合理化するとともに、商品を管理し売れ筋管理を行い在庫圧縮に手を尽くす。売れ筋商品を見い出すと徹底した薄利多売攻勢をかけ利益を積み重ねる。
こうしてバッタ屋は近代的ディスカウントショップに変貌していく。
次々と手を打つ。製販の直結、流通経路の簡素化、そしてとりわけ多慶屋が力を入れたのが、電算化による商品管理の徹底だ。これにより商品回転率の向上・在庫の圧縮など、弱者叩き商売から精緻化された流通ビジネスへ大胆な自己改革を実現する。
IBMの汎用機をこの業界ではいち早く導入する。システムの開発には相当な試行錯誤を繰り返したはずだ。同様のビジネス形態が他にないから。
IBMおよびアプリケーション開発を担当した会社は苦労を強いられる。仕様は試行錯誤を繰り返す。多くの犠牲を払いシステムは完成する。このシステムが効を奏し多慶屋は独自の徹底した商品管理を行なう薄利多売のビジネススキームを完成させる。
そして独自の拡大路線を突っ走る。多くのディスカウント店が郊外に大型店を出店する大幅な拡大路線をとるなか、多慶屋はあくまでも御徒町の地に徹底してこだわり規模の拡大を自制する。目が届く範囲で商売をするという経営管理面と輸送費など商品流通コストの抑制を考えての結論だろう。
しかし根底にあったのは、倒産の恐怖からくる独自のリスク感覚だろう。その恐怖は多慶屋がかつて仕入先で日常に体感したものだ。倒産した店がどのような目にあうか、自らの行動の裏返しだからその恐怖は骨の髄までしみついている。
元々店の周辺にあったビルを次々に買い取って販売面積を拡大していく。扱う商品種類も次々と拡大していく。大量仕入・大量販売と徹底した商品管理の合理化で利益を稼いでいく。それは売れ筋商品の徹底的な薄利多売で利益をたたき出しながら、次々と売れ筋商品の分析と開拓を繰り返した結果だ。
こうして多慶屋村は出来上がる。
大量仕入で大量販売。食品系の薄利多売は多慶屋の商売の主流。
隣接する建物を次々に売り場にしていく。売れ筋商品の拡大を図る。
裏手の建物も自社の商品売り場にしていく。取扱い商品の拡大を図る。
ついに多慶屋は成功し続けるスキームを確立した、かに見えた。しかし時代は容赦なく変化していく。
次回に続く。
以前に吉池本館を紹介した。吉池本館が昔からある御徒町のランドマークだとすれば、現在の御徒町のシンボルは多慶屋だろう。最近は有名になり下町買物めぐりのバスツアーにも組み込まれている。御徒町といえば多慶屋、というイメージを描く方も多いと思う。
御徒町近くの昭和通りの一角は「多慶屋村」状態だ。多慶屋の看板がかかるビルが林立する。

以下は私が今まで多慶屋を見てきて感じたままに推測して書いたフィクションだ。お取扱いにはご注意いただきたい。
多慶屋物語。その1。
もともとはいわゆる現金問屋で、現金仕入・現金販売の安売り店だった。40年以上前のこと、当時はディスカウントショップなんておしゃれな言葉はない。実態は倒産した店から情容赦なく札びら切って商品を買い叩き、大量に仕入れそれを他店が真似できない安さで売る。通称バッタ屋がルーツだ。
今さら過去のことを言うと怒られるかもしれない。でも多慶屋はそこから驚くべき変貌をとげていく。
かつてはこの手のバッタ屋はたくさんあった。バッタ屋が今流の言葉で言うM&Aで大きくなり、いわゆる安売り大手が出来た。今から30年くらい前のことだ。
東京近郊ではロジャースが先駆した。埼玉南部を中心に開業した。今では多店舗を展開している。ここも元々はバッタ屋だ。一時はとても流行った。競争相手がいなかった。なぜか。競争にならない。仕入ルートが普通じゃない。これが他社が真似できない参入障壁となり独占的な地位を築いていた。
多慶屋も同じ。どうしてこんなに安く売れるのか、素人の詮索が許される領域ではない。それでもとにかく安いから売れる。買う立場からすればどこから仕入れようが商品がまともで安いなら問題はない。
やがて世の中の流れが変わる。安ければいいってもんじゃない。今の言葉を使えばコンプライアンスである。
様々な安売店が商圏を失っていくなか、多慶屋は大胆な変身を迫られ実行する。
まず仕入ルートの正規化を急ぐ。倒産会社から安値で仕入れることをやめ、正規ルートからの仕入れと品揃えの多角化を行なう。不定期な仕入れから安定仕入れへ、不特定商品ではなく顧客ニーズを踏まえた品揃えへと、商売のやり方の基本を変える。
そうなると今までリスクとモラルを引き換えに得てきた大きな利潤を、違う手段で確保しなければならない。多慶屋は生き残り策を真剣に考えたはずだ。
仕入ルートを整備・合理化するとともに、商品を管理し売れ筋管理を行い在庫圧縮に手を尽くす。売れ筋商品を見い出すと徹底した薄利多売攻勢をかけ利益を積み重ねる。
こうしてバッタ屋は近代的ディスカウントショップに変貌していく。
次々と手を打つ。製販の直結、流通経路の簡素化、そしてとりわけ多慶屋が力を入れたのが、電算化による商品管理の徹底だ。これにより商品回転率の向上・在庫の圧縮など、弱者叩き商売から精緻化された流通ビジネスへ大胆な自己改革を実現する。
IBMの汎用機をこの業界ではいち早く導入する。システムの開発には相当な試行錯誤を繰り返したはずだ。同様のビジネス形態が他にないから。
IBMおよびアプリケーション開発を担当した会社は苦労を強いられる。仕様は試行錯誤を繰り返す。多くの犠牲を払いシステムは完成する。このシステムが効を奏し多慶屋は独自の徹底した商品管理を行なう薄利多売のビジネススキームを完成させる。
そして独自の拡大路線を突っ走る。多くのディスカウント店が郊外に大型店を出店する大幅な拡大路線をとるなか、多慶屋はあくまでも御徒町の地に徹底してこだわり規模の拡大を自制する。目が届く範囲で商売をするという経営管理面と輸送費など商品流通コストの抑制を考えての結論だろう。
しかし根底にあったのは、倒産の恐怖からくる独自のリスク感覚だろう。その恐怖は多慶屋がかつて仕入先で日常に体感したものだ。倒産した店がどのような目にあうか、自らの行動の裏返しだからその恐怖は骨の髄までしみついている。
元々店の周辺にあったビルを次々に買い取って販売面積を拡大していく。扱う商品種類も次々と拡大していく。大量仕入・大量販売と徹底した商品管理の合理化で利益を稼いでいく。それは売れ筋商品の徹底的な薄利多売で利益をたたき出しながら、次々と売れ筋商品の分析と開拓を繰り返した結果だ。
こうして多慶屋村は出来上がる。
大量仕入で大量販売。食品系の薄利多売は多慶屋の商売の主流。
隣接する建物を次々に売り場にしていく。売れ筋商品の拡大を図る。
裏手の建物も自社の商品売り場にしていく。取扱い商品の拡大を図る。ついに多慶屋は成功し続けるスキームを確立した、かに見えた。しかし時代は容赦なく変化していく。
次回に続く。
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